自分の頭の中で物語をつくりあげる、ということ
久しぶりの更新になりましたが、こちらは元気です。仕事も続いているし、体調もそれなりには安定しています。
最近になってようやく、本を読んだり、音楽を聴いたりということが日常生活の中でできるようになりました。
今日は情報に触れることについて書いてみます。
昨日、有休をとって遊びに行き、帰りに本屋に寄りました。
ちょうど芥川賞・直木賞候補の特集や夏の文庫本フェアの特集をしていて読書欲が刺激されました。
お店の中である本(○○×××の『△△』としましょう)が平積みされていて、前から気になっていたのだけど、
読むのが怖い。
もう一度書きます。
読むのが怖い。
なぜ怖いのかというと、『△△』は、ものすごい話題作だったのですが、人間関係のドロドロさや、いわゆる「衝撃のラスト」というべき展開や、人の暗い部分を引き出している…という触れ込みがあって、今の自分にとっては読むことが大きなストレスになるだろうなと予想できたのです。
だけど、それ以上になぜ怖いかというと「(こわいのはそれとして)結末がわからない」というのも大きいと思うのです。初めて読む物語は、展開も結末もわからなくて当たり前。というよりそこが面白くて楽しいのに、それが展開の内容以上に大きなストレスになるのではないかと考えました。
退院してから最近になるまで、本や音楽やテレビ番組といった「情報」に触れることはものすごくエネルギーを使う、いわばストレス・負荷の大きい作業でした。最初のうちは漫画は読めたけど小説などは読めなかったし、音楽も聴くだけで疲れてしいました。テレビもニュースやドラマはだめでドキュメンタリーや子供向け番組ばかり観ていました。
仕事を始めてからすこしずつ本を読んだり音楽を聴くこと、テレビを観ることを楽しめるようになったのですが、テレビはともかく、いまも本や音楽は過去に読んだあるいは聴いたものが中心です。
本は、自分で一から読んで、自分の頭の中で物語を構築する作業に頭がまだ追いつかないのです。いまは漫画や子供向けの本、展開的に安心して読める本を中心に読んでいます。
音楽は時間も短いし、展開や結末でダメージをうけるようなものは少ない(もしくはそこまでの感受性を持っていない)からストレスを感じることは少ないですが、クラシックの交響曲やロックなど音が厚くなればなるほど初めて聴くものは情報が処理できなくて、今まで聞いたことのあるポップスや小編成のものが中心です。
すこしずつ回復しているとはいえ、今の状態はもったいないなーと思います。これからの人生でどれだけの名作、名盤、名画、名著といったマスターピース(傑作)に触れられるかを考えるとちょっと気が急きます。今年の夏はいままで評価されてきたものに挑んでみようかと。
展開がわからないものがストレスになるという話から少しそれたけど、新たに自分の頭のなかで物語を作るのが難しい、ということで。
いま、ジャズの名盤に挑戦中。食わず嫌いをなくしたい。